長谷川楓(peace)のblog

京都から東下りしたAttention Deficit気味な元京大生 これまでに住んでいた場所を思い出したり、普段の生活について書いたり、創作したものを載せたり。

ゆで卵の話(創作)

 大学からの帰り道にあるスーパー。今日は木曜日で卵が安くなっている。適当な数の卵パックをかごに入れて、レジに並ぶ。美しい横顔の店員はかごの卵1パックを取り出してバーコードを読み、パックの総数を数えて額を三十倍にした。「お会計三十点で4440円です」柳眉を若干ひそめて言われた。

 僕のことは店員たちの間で噂になるだろう。エッグマンとか言われるんだ、多分。

 

 スーパーの近くにある木造アパート。二階に「投長」の部屋がある。卵パックの詰まったカバンと両手のレジ袋はさすがに重たくて、階段を上るのが辛かった。

 玄関の扉を開ければ暖気が迎え入れてくれた。人間三人+猫一匹は炬燵から出ずにぬくぬくしていた。僕は炬燵の余った一辺に身体を滑り込ませた。膝が誰かの足にぶつかった。

「投長、買ってきたっすよ。これレシート」

「おお、サンキューな。ほら、釣りは駄賃だ」

と、投長は千円札五枚をくれた。

「あざっす」

 

「じゃ、さっそくはじめよ~ぜ!」

と威勢のよい特攻投長。彼女はダイソーの「たまごのプッチン穴あけ器」を四つ取り出して、みんなに渡した。パックの封を切り、一つ一つの卵に直径一ミリメートルもないくらいの穴をあける。結構難しい。始めは二、三個割ってしまうが、五個目くらいからコツが分かってきた。特攻投長は笑顔で「センスあるねぇ!キミぃ~」とほめてくれた。特攻投長はかわいい。

副投長は手が震えるせいで一パック分の十個全部を割ったところでやっと罷免された。僕の手元をのぞき込んで、「ええ筋しとるのうぅ」と恨めしそうに僕の顔と卵を交互に見てくる。投長は四人の中では最も精確で、最も速い。黙々と作業をこなす。特攻投長はいつのまにか一つの卵を穴だらけにして遊んでいた。「卵を穴だけにしたらどうなるんだろうね~」僕は一瞬、穴だけになった卵のことを考えたが、頭はすぐさま「特攻投長かわいい」でいっぱいになった。

 

 もうすぐ穴あけ作業が終わるというころ、副投長は靴をどけた玄関の床に赤茶けた鋳物コンロを置き、ガスボンベとステンレスの厚手の鍋のセッティングを始めていた。レンタル業者から借りてきたらしい。僕が横に座って見ていると、おもむろに副投長が言う。

「厚手のほうが熱が均一に加わってええんじゃ」

「そうなんすね」

「そして、温める前の、水の時点から卵をいれるんじゃ」

「はい」

 僕はパックから取り出した卵を丁寧に水の中に入れ始めた。落としてヒビが入らないように気を付ける。火を付けた。沸騰し始めてから八分ほどまつと、よい半熟卵が出来上がるらしい。沸騰するまでの間は、黄身が中で偏らないように、卵を転がす作業をする。

鍋の中で転がっている大量の卵を見て、すこしおぞましく感じた。僕は親鶏の気持ちを考えようとした。無精卵だから許してくれるかな。

 

 ピピピピ。

 八分経過を知らせるタイマーが鳴り、僕は火を止めた。シンクに置いたザルに向かって、鍋の中身をぶちまける。シンクがボコンと鳴り、猫が驚いてこちらを見た。いくつかのザルに分けて殻を剥く作業をする。あけた穴のおかげで、不器用な副投長でも簡単に殻が剥ける。

 

 雪が深々と降るしずかな夜に、四人がこたつを囲んでゆで卵の殻を剥いていた。猫はこたつ机の真ん中で丸くなり、上目遣いで僕らの手元を見ていた。



 作業を終えて僕らはゆで卵をパックに詰め直したあと、各々のリュックサックに入れた。

「いくぞ」

 投長がそういうと、僕らは立ち上って外へ出た。作業をしているうちに日は暮れ雪が降りつもり、空は真っ黒、地面は真っ白になっていた。アパートの敷地を出ると、街灯に照らされた降雪と積雪が三角錐を作って等間隔に並んでいる。

 

 僕らは十五分ほど歩いて、寺の境内にある墓地に来ていた。墓石の並ぶ道の突き当りに、投長の先祖代々の墓がある。今日命日を迎える投長の父も、ここで眠っているらしい。

 だれもやりたがらないので、僕は提灯の役をした。スマホのライトで、石碑が暗闇の中で浮かび上がった。投長は五メートルばかり離れて、カバンを置いた。他の二人も、墓石から少し離れて見守っている。

 投長はワインドアップで振りかぶり、右腕を振り回した。高校時代は軟式野球のピッチャーだったらしい。「現役時に比べたら球速は落ちたが、百二十キロは出せる」120km/hで投げ出されたゆで卵は、闇夜の中で白い直線を描いて石碑に激突した。半熟の黄身が石にへばりついた。砕けた白身は細かい粒になって、空中でキラキラとはじけ、四散した。そうして、投長は何度も石碑にめがけて全力投球を行った。投長が投げるときに出す「ふんッ」という声と、ゆで卵のはじける「パァンッ」という音だけが、交互に繰り返される。僕は、道中に投長が話した言葉を思い出していた。「父はゆで卵が好きだった」「墓前に備えるだけじゃ、カラスに食われておしまいだ」「腹いっぱい食わせてやりたい」投長の横で見ていた二人も、楽しくなってきたのか一緒にゆで卵を投げ始めた。副投長は不器用なので他の墓にもぶつけていた。僕は、ゆで卵まみれになっていく自分と、訳も分からないまま好きでもないゆで卵を食わされている故人が不憫だった。

 

 僕らは、次の目的地を目指して歩いていた。卵でべとべとの僕は正直気乗りしなかったが、他の三人はやる気になっていたのでついていくしかなかった。僕らは車庫の前に来ていた。ここは前に副投長が勤めていたタクシー会社の車庫らしい。手の震えが原因で辞めさせられたという。

 副投長は事務所のほうを覗いて誰もいないことを確認すると、複製していた鍵を使って事務所内に入っていった。僕らは道の角に隠れて見守っていた。少しすると、副投長は帰ってきた。事務所の冷蔵庫の卵を全部ゆで卵に入れ替えたらしい。「明日仰天する奴らの顔を思えばたまらんな、愉快じゃ」建造物侵入罪相当のことをする割に復讐のしかたがみみっちくて、僕らは笑った。

 「本当にそれだけでいいの?」少し物足りなさそうに特攻投長が言う。「そうじゃなぁ」副投長は、ゆで卵を車庫の車に向かって投げた。ぶにんっとゆで卵は跳ね返って落ち、車には何の汚れもつかなかった。ハハハ、と乾いた笑いをした後、副投長は少し強く投げつけた。ボンネットにあたったゆで卵は、そのまま車の上を跳ねて向こう側に落ちた。球速を上げると、うまく当たらない。副投長は「許さん」「許さん」と投げ続ける。そこで投長が120km/hでゆで卵を発射すると、しっかり黄身がはじけて車にへばりついた。同時にセキュリティアラームが鳴りだして、僕らは慌てて荷物をまとめ始めた。



「全員、別々に散らばるんだ。適宜連絡をくれ。以上」

 投長の合図で、僕らは別々に逃げ出した。雪の中を走りながら、僕はなんでこんなことをしているんだろうと思った。ゆで卵を買ってきた。茹でた。剥いた。そして走って逃げている。なぜ?

 

 僕は何の理由があってこんなことをしているのだろう。僕だってムカついているやつの一人や二人はいる。けれど、誰かにゆで卵をぶつけられるほど、僕は激情も愛情も持ち合わせていなかった。

 

 走るのに疲れて、誰もいない公園のベンチに座った。いっときすると、特攻投長も息を切らして僕の隣にやってきた。走るために髪を結んだ特攻投長はやはりかわいかった。

「面白かったね~」

 面白かったかといわれるとよくわからない。適当に「えぇ」と相槌を打った。

 僕は唐突に、特攻投長は卵をぶつけたい相手はいるのか、聞きたくなった。それを口にしようと特攻投長のほうに目をやると、特攻投長もこちらを見ていて、「目を閉じて」と言われた。何も考えずに素直に従うと、唇に何かやわらかいものが触れた。ウワ~と思いながら唇を動かすと、やわらかいものが口の中に入ってきて、僕の口の中を占拠した。ゆで卵だった。目を開くと、ニコニコした特攻投長が目の前にいて、「噛んでみて」という。ちくしょう、注文の多い人だなと思いながら、僕はゆっくりゆで卵を噛みつぶす。卵のどこかがはじけて、中の黄身がとろけて出てきた。うまい。僕の右手には卵が握らされていた。それを指の腹でゆっくりと押してみる。むにっとした感触だけではなく、卵が形を変えて反発する状態と卵が破壊された状態を同時に想像することができた。いつの間にか卵ははじけて、僕の右手を黄色く濡らしていた。そして僕の額からも生暖かいどろりとした黄身が滴り落ちて、涙みたいに頬と顎を伝って落ちた。特攻投長が僕の額にゆで卵を押し付けていた。相変わらず彼女は笑顔だった。僕も、気づけば彼女の口にゆで卵を突っ込んでいた。そして彼女の体のいたるところににゆで卵を押し付けてぐちゃぐちゃにした。僕らは体中に黄と白を塗りたくった後、ゆで卵で雪合戦をした。雪合戦に飽きたら、僕らはゆで卵を建物の壁にぶっつけて遊んだ。別に壁の下に埋まっている誰かに食わせるわけでもなく、壁を作った施工業者を呪うでもなく、ただ意味もなく、壁にぶっつけた。形を持った卵は、無為にぐちゃぐちゃになって四方八方にちらばった。ただただ愉快だった。降り積もった雪の上に、黄色がはじけて落ちるのが、愉快だった。

 

 そうしてひとしきり遊んだ後、僕らは帰り道に牛丼屋に入った。運ばれてきた温玉付牛丼の温玉は卵の形をしていて、それを見ていたら可笑しくてたまらなくなり、噴き出して二人で笑った。