長谷川楓(peace)のblog

京都から東下りしたAttention Deficit気味(ぽんこつ)な元京大生 これまでに住んでいた場所を思い出したり、普段の生活について書いたり、創作したものを載せたり。

竜とそばかすの姫、観た【ネタバレ含む】

観ました。ぼくは合わなかったです。映像は良かった。あと、中村佳穂さん!声綺麗だな〜。

合わなかったところについて、以下。

【以下、ネタバレ含む】

 

 

 

 

キャラの心理が理解できなかったり、物語になりかけている断片みたいなのが散乱しててわかりにくかったり、いろいろ気になる点はあるが、いちばん気になったのは仮想世界の扱い。

VRchatやVtuberが実際に存在し、Virtual的なものの発展に期待が寄せられる現在において仮想空間を題材にするからには、ウォーゲームやサマーウォーズ等の過去の作品からアップデートされた「仮想空間」観に基づいて作られているのかな、と思って期待したのだけど…。

実際に観てみると、①仮想空間はあくまで媒介するツール、その場のみで完結しない空間としての扱いであること、加えて、②仮想空間におけるアバターを現実世界の困難や人の悩みなどを覆い隠す「ベール」として扱っているようにみえるのが、残念だった。

②について。竜の「中の人」が抱える家庭内暴力の問題、鈴の諸々のコンプレックス。それらを隠す存在として「As(アバター)」が存在していて、それらを暴く(unveil)ことにかけては、劇中にでてくる大衆や自警団たちと同様、細田も(目的は違えど)注力しているように見えて、嫌だった。

①について。「Uはもう一つの世界、Asはもう一人のあなた」と冒頭と終盤で強調するわりに、もう一つの世界、もう一人の自分として機能させられていなかったのが残念。「仮想空間」の物語上の意義が「出会い」以外ほぼ不在のまま、現実の竜を特定し、現実の鈴の顔を晒し、現実の竜のもとへ向かう、という一連が物語上「好転」として展開された。終わって振り返ってみれば、仮想空間であっても現実世界の個人同士をただ紹介する《出会い系》のようなツールにすぎないという、古臭いインターネット観に帰結してしまった。

いや、そういう現実世界偏重の見方は、今後VR技術が発展を遂げようが遂げまいが関係なく個人の考え方の問題だという気もするし、実際、現実の問題を解決するには現実にこそ取り組まないといけないというのも分かるけど、、、。なんというか「ゲームばっかりしてないでお外で遊んできなさい!」的なお説教という気もしてきて、古臭くて暑苦しいと反抗したくなる、そういう気分。

 

VRアバターの技術は、容姿や声といった先天的な形質から人を自由にし、ルッキズムから解放し、人同士をより精神的につながりやすくするのでは…と期待しているからこそ、、、もっとそういう話を観たかった気がする。もっと,仮想空間だからこそ得られる唯一の関係とか,あるはずだと思うんだけど。「なんだよ、仮想空間使った意味ないじゃん」という素朴な失望。

 

逆に、仮想空間とアバターにかける思い(意義)や希望を描いた作品としてよかった漫画作品。『VRおじさんの初恋』

online.ichijinsha.co.jp

 

 

心は現実世界の影響や拘束をうけるけれども、仮想空間・アバターを媒介するからこそ、現実とは異なる人間関係・関係性を得ることができることを描いている。そこで得られた関係から、結果的に現実世界の改善も導かれるということも描いていて、希望のある作品。